みんなのいけばな

File No.51

島 芳華さん 島 芳華さん 埼玉県/大宮支部

「人にいけばなを教えることの大切さ」を教えてくださった先生 指導者としての道を歩み続けて30年、人の輪も広がっています

人と人のつながりで紹介していくリレー形式の「いけばなじん」。

職場がいけばなと出合うきっかけとなり、花のある生活に魅力を感じ、お稽古を続けてきた島さん。子育てをしながら研究会で技術を磨いた若き日々。30代で教室を持って生徒さんと向き合いながら、陶芸の腕にも磨きをかけられている島さんの、彩り豊かないけばな人生を語っていただきました。

東京支部の幹部として活躍する杉本さん お花の仲間としていつも刺激を受けています

 杉本さんとの出会いは、前回彼女が語ってくださった通り、6年ほど前、私の師であった木村順子先生(大宮支部・前々支部長)が亡くなり、同じ東海林寿男先生の弟子でいらした新藤聖園先生をご紹介いただいたことがきっかけです。一緒にお稽古をしているうちにすぐに打ち解けることができました。

 杉本さんはその明るいお人柄から、先生から「祥子ちゃん」と呼ばれていたので、私も「祥子さん」と呼ばせていただき、現在は月3回のお稽古仲間としてお付き合いをしています。彼女は東京支部の幹部を務めながら研修にも参加されているので、私よりずっと年下とはいえ、大いに刺激を受けています。
 教室には東京支部・大宮支部・浦和支部の方々がいらしているので新藤先生は大変かもしれませんが、私たちはとても勉強になります。

職場に花を飾るために始めたいけばな 結婚、子育てで忙しい時期もいけばなは続けました

 私は昭和23年生まれのいわゆる団塊世代で、就職した頃、世の中はまさに高度成長期でした。勤めていたのは茨城県の「動力炉・核燃料事業団」という国の原子力施設です。今は福島の原発事故問題で大変ですが、当時は皇室の方・各国の来賓・政府の役人が見学にいらっしゃるほどでした。ある日、上司から、「職場にたくさんある会議室に花をいけてほしい」と二十歳そこそこだった女子職員に指示がありました。
 怖いもの知らずの若さで、その指示を安易に受けてしまった私たちは、何の心得もないことに気づき、華道部と茶道部を作ることになりました。結局、茶道部は裏千家の先生をお呼びして所内で、お花は各々で習うということになり、たまたま出会ったのが小原流の先生だったのですが、何の知識もない私が「自然があふれたお花だな。生のお花っていいなぁ」と思ったことを覚えています。

 結局、お勤め期間は短く、結婚と同時に埼玉に引っ越すことになり、子育てなど忙しい日々を送っていたのでお茶は途切れてしまったのですが、家の中の花は絶やしたくないと思い、いけばなだけは続けておりました。そこで出会ったのが、大宮支部の初代支部長、平松一紅先生です。先生のお花に対する意気込みや迫力・姿勢にはいつも圧倒されていました。私が准教授になると、平松先生は「人に教えなさい。お金を払ってでも教えさせてもらうことが自分の勉強になるから」とおっしゃいました。

 それから、主人が8年ほど神戸・三宮に単身赴任をしていたので、私も約5年研修課程に参加しました。体力的な問題で残念ながらU期でやめることとなりましたが、いけばなの技が上達したことはもちろん、全国に素晴らしい友人を持つ機会にも恵まれました。研修は朝早くから夜は21時を過ぎることもありましたが、ホテルの部屋に集まっては差し入れのケーキを食べながら、騒がないように心がけつつ夜中までワイワイおしゃべりしていたことを思い出します。独身の方・お子さんがいらっしゃる方など、さまざまな境遇の仲間と切磋琢磨できたかけがえのない体験でした。
 そういえば、研修先から留守番をしている大学生の息子に朝昼晩と「火事にだけは気をつけなさい」とたった一言を伝えるために電話を入れる日々。家に帰ってみると出発の時に干した洗濯物がベランダでそのままになっている有様でしたが、近所のおばあちゃんに「お宅のボクはえらいね。毎日洗濯物が干してあったよ」なんて言われたことも良い思い出です(笑)。

子ども連れで研究会に参加した日々 お教室には96歳の生徒さんもいらっしゃいます


地区別教授者研究会で95点をいただいた作品
(2001年10月)

 主人は単身赴任が多く、子ども2人を連れてお稽古に通った時期もありました。男の子2人ですから、おやつと本を持参して、おとなしくしてもらえるよう苦心しました。子どもたちにしてみると迷惑な話だったかもしれませんが、そんな状況で参加した研究会で95点をいただいたときなどは、本当に嬉しかったことを憶えています。地区別教授者研究会では1996年・2000年・2001年と3度、優秀賞を受賞することもできました。

 そういう経験があったので教える立場になっても、自宅教室では、お子さん連れのお母さんを喜んで受け入れました。公民館や地区の集会所でのお稽古も約30年続けています。30代と若くして教え始めたのですが、30年も経てば自分もさることながら習っている方々も年齢を重ねてきます。お母さんからお嫁さんに代替わりされた方もいらっしゃいますが、中には96歳の最高齢で元気にお稽古を続けていらっしゃる方もあり、皆さん「お花が楽しい」「お花は生きがい」とおっしゃってくださいます。


ある日のお稽古の風景

公民館の文化祭に出品(2010年9月)

 集会所では毎年、公民館では2年に1度、発表の場がありますが、その時も、皆さんがご自身の好きな花を私の手作りの器などを使っていけていただくなど、楽しみながら出品しています。

自作の花器にいけたくて始めた陶芸 無我の境地で向かう土いじりが好きです

 陶芸を始めたのは15年以上前になります。子ども2人の進路も決まり、主人も埼玉に戻って仕事をするようになり、私自身は支部の幹部となっていました。いろいろな花展に出品するようになり、それなら花器も自分で作ってみようと思ったのがきっかけです。最近では花展に使う器はほとんどが自分の作品です。忙しくて中々出向けない時もありますが、月7〜8回好きな時に、無我の境地で土いじりをしているのは楽しいものです。ある方に言われたのですが「よく言えばおおらか、悪く言うとおおざっぱ」な私の性格そっくりの器ばかりになりました(笑)。


左:春光(2010年)、右:萌(2010年)

 東京の国立新美術館での陶芸財団展では何度か入選もし、2013年5月には陶芸仲間2人で「侘助」という喫茶店で作陶展を開催し、1カ月間の展示販売もおこないました。会期終了後にも連絡をいただき、財団展に出品した「萌」と名づけた花瓶の色や形、大きさがお好みにあい、新築のお宅に飾ってくださるとのことでお買い上げいただきました。自分が作った器を飾っていただけるというのは本当に嬉しいものですが、本業のお花をおろそかにしないようにと思っています。


陶芸財団展に入賞した作品(2008年)

自分で作った器に挿花した作品

 前述しましたように家族は主人と男の子2人と、私以外は男性ばかりですが、いつも研究会の送り迎えをしてくれる主人には本当に感謝していますし、息子たちはいけばなとは無縁だと思っていたのですが、「家の中にお花があるのは当たり前」という気持ちは持っていてくれていたようで、次男に子どもが生まれた時、お花のアレンジメントを持ってお嫁さんの病室にやってきた時は、とても微笑ましく、嬉しく感じました。

 私が所属する大宮支部は、一言で言うと「明るい支部」ですし、支部を良くするためなら誰もが自由に意見を言える雰囲気があります。これからもっと若い方々が入られ、活躍されることを期待しています。


ボタンで有名な西新井大師(東京)に正月花と節分の花をいけさせていただいています(2012年1月1日)
【島 芳華さんに一問一答】

大好きな蓮池の前で(2001年7月)
  • 好きな花/桜、蓮
  • 好きな作家/世阿弥、立原正秋
  • 好きな作品/立原正秋の随筆『作庭記』
  • マイブーム/好きな山草を見つけたら、すぐ買ってきて庭に植えること。今は、種から植えた山百合の花が咲いています。


宝生寺にて山本さんと二人で(2007年)

島 芳華さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、研修課程で出会った山本明豊さん(橿原支部)です。お花への情熱やいけばなの実力が素晴らしく、また奈良の山々を車で案内してくださるなど、ぐいぐい周りを引っ張ってくださるガッツのある方、ということです。どうぞご期待ください。


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