みんなのいけばな

File No.113

石橋 祥子さん 石橋 祥子さん 東京支部

幼い頃から夢見た海外での行けばな活動 希望をもって努力すれば夢は必ず叶うと信じて

真摯に学ぶ中国の愛弟子や会員たち
いけばなを日中友好の架け橋に

中学3年生の時にお母様から教授者の看板を受け継いだ石橋さん。海外で活動したいという夢を実現し、ヨーロッパやアフリカ、現在いけばなブームに沸く中国においても、花展指導をはじめ多岐に渡って活躍されています。世界各地のいけばなを通じた同志との旧交を温め、長年グローバルに活躍されてこられた石橋さんに、これまでのいけばな人生をお話しいただきました。

明るく周りを照らす向日葵のような柴田美穂先生
困難な状況に向き合う姿に感銘

 柴田美穂先生に初めてお会いしたのは1996年7月、当時講師1年生だった私がワクワクドキドキしながら諫早支部へ伺った時のことです。柴田先生は、支部の研修部として展示花の準備などに素晴らしい気働きをされておられ、まだ新米の私の緊張している気持ちを解きほぐしてくださいました。潮の香り、緑豊かな山々、輝く太陽といった諫早の豊かな自然の恵みを受けて溌剌と活動されている、向日葵のような柴田先生に親近感を覚えました。

 1999年に雲仙普賢岳が大噴火し甚大な被害が出た直後、諫早支部研究会に再び講師として派遣され、柴田先生と再会しました。涙を流しながら変わり果てた街を案内される柴田先生のお姿を目の当たりにし、それまで感じていた明るさの奥にある、人間としての奥の深さを感じました。
 翌年、災害復興事業として建設された島原復興サブアリーナで「諫早支部創立20周年記念式典」が執り行われ、このとき支部長就任間もない柴田先生を応援しようと、私も式典に出席させていただきました。式典の際、理事長からいただいた励ましや希望の持てるお言葉を受け止め、柴田先生がその後見事に支部の活気を復活されたことを思い返すと胸が熱くなります。

 しかしあれほど元気印の柴田先生が、昨年5月突然病魔に襲われ、抗ガン剤治療を始めたと知り、ショックを受けました。私にできることは一緒にいけばなの話をすることぐらいかと、時折祈るような気持ちでお電話をすることがあります。痛みの残る後遺症を抱えながらも「今日は普賢岳から採集した花材で大好きな写景のお稽古をしたのよ」といった会話ができた日はことのほか嬉しく、柴田先生にとっていけばなが何よりの元気の源なのだと感じます。電話で声を聞くたび、諫早の美しい光景や澄んだ空気までもが伝わってきて、エールを贈ろうとしている私の方がいつも励まされています。

小学生で魅了された花の世界
豊雲先生のような海外での教授活動に憧れて

 現・八戸支部がまだ青森支部の支所だった頃のことです。後に三代目八戸支部長を務められた故・樋口潮洋先生のご実家と私の両親が親しくさせていただいていたご縁で、母、伯母、いとこたちが樋口先生に出稽古をお願いし、8歳の私も少し遅れて仲間入りしました。最初のお稽古ではいつもの親戚たちが集まっている様子とは違った、今まで感じたことのない厳粛な雰囲気に戸惑い、居たたまれなくなった私はしくしくと泣き出してしまいました。でも、すぐに素敵で優しい樋口先生に打ち解け、“色とりどりの美しい花をいける”という別世界に夢中になりました。同年代の友達と遊んでいる時には味わえない何とも優雅な時間が心地よく、お花をいけるのが大好きになりました。

 小学5年生の時、母から、三世家元の豊雲先生がハワイへご指導に行かれ、現地でとても歓迎されたという話を聞き、「私も将来は海外でいけばなを教えられるようになりたい」とチラリと思ったのですが、中学生になり英語が大の苦手になってしまい、その夢は遠のいていきました。
 その後、家業が忙しくいけばなを中断した母に代わり、中学3年生の時に三級家元教授免状と看板を拝受。看板の重み、教授者としての責任を初めて感じたのでした。


四世家元・夏樹先生と「マイイケバナ」懇親会にて。左から2番目が石橋さん(1989年)

海外支部の皆さんとの交流は忘れえない思い出
中国の愛弟子の活躍を何より嬉しく感じます

 1977年頃、先輩にあたる先生がきっかけを作ってくださり、日本に駐在する海外の方々のご夫人たちに出稽古をするようになりました。さらに、いけばなレッスンのためにお越しになる海外支部の先生方とご縁ができたおかげで、ドイツと南アフリカに約1カ月ずつ滞在し、お花を教える機会にも恵まれました。特に南アフリカのダイナミックな自然のサファリや、植物園のような庭から採集した珍しい花材を使えることはとても魅力的な体験でした。
 海外の花展などではそれぞれの国にある花材を使っていけますが、時には日本で入手できない高価な珍しい花材をたくさん使うこともあり、地元の方に喜ばれるとともに、私自身もこの上ない幸せを感じるひとときです。


プレトリア・南アフリカ花展花材採集(1985年)

 前南アフリカ支部長であるC夫人とは、その後40年間にわたってお互いに行ったり来たりと家族のようなお付き合いが続いていますが、私が支部役員をしたり研修課程に行くようになって、それまでの生活が一変。他のことができなくなり、大半の方々とは音信不通になってしまいました。
 ところが、2014年に研究院講師を退職した途端、降って湧いたように海外とのご縁が復活したのです。インドのバンガロール支部や南アフリカ支部では、周年記念行事でデモンストレーションを行う光栄な機会をいただきました。また、数十年ぶりにドイツを訪れると、当時親しくさせていただいた方々がリーダーとなって大活躍していました。私も年を重ねましたが、昔はロングヘアでお人形のようだったK夫人も今は白髪でショートカットに。二人ともいけばなを続けていたおかげで、再会の喜びを分かち合うことができました。
 今では花の輪、人の輪が広がり、多くのヨーロッパの各支部やスタディグループとのご縁が生まれ、毎年ワークショップや花展に行かせていただいています。
 英語が苦手で一度は海外でのいけばな活動の夢を諦めただけに、今の状況を思うととても感慨深いものがあり、いけばながつないでくれたご縁に感謝の気持ちでいっぱいです。


プレトリア・南アフリカ支部 支部長(当時)宅にて(1983年)

 2013年秋、中国から若い中国人女性が日本で勉強したいと本部を訪ねてきました。たまたま私が担当したご縁で、その女性、朱莉とは師弟関係になりました。三級家元教授の朱莉はそれから5年間、上海から休まず月例研究会に出席し、現在は年間優秀賞を受賞するほどの実力をつけています。自身が東京支部所属の専門教授者であると同時に、中国では80名の専門教授者を抱える上海支部支部長でもあります。レッスンのため日本に滞在している1週間はまさに花漬けの毎日で、私たちはお互いに「イケバナクレイジーね」と笑い合っています。
 経験こそ浅い朱莉ですが、味のある花をいけ、作品からも花に対する深い思いが伝わってきます。のんびりしている社中の皆も彼女から良い刺激を受けています。彼女の努力の甲斐あって、この5年間で上海支部を設立することができました。教室には中国各地から生徒が集まり、その生徒が専門教授者となって、今では中国5都市にスタディグループが生まれています。


上海支部支部長・朱莉と(2015年1月)

上海支部花展パーティー。西安にて(2017年12月)

 私の中国での活動はというと、2015年の上海燗屋を皮切りに、大連・北京・蘇州・西安・昆明において花展やデモンストレーション、ワークショップ、体験教室を開催し、指導に訪れています。皆小原流のいけばなに魅せられ、情熱を持って花と向き合う、教え甲斐のある会員ばかりです。また私自身も、いけばなを通じて日中の友好の架け橋として貢献できることを光栄に思っています。昔読んだ『アカシアの大連』や、『挿花』(2017年5月号 No.798)で紹介されたムラサキダイコンの花にまつわる『花だいこんを伝えた人々 紫の花伝書』も、中国への私の想いをいっそう深くしてくれているものです。


上海高島屋 花展にて(2015年11月)

上海高島屋 花展にてデモンストレーション
 中央が石橋さん(2015年11月)

時を経て思いがけず叶った夢
これからもさまざまな経験を活かして邁進していきたい

 小学生の頃、幼い心に小さな一輪の蕾が芽吹きました。二十、三十代で少し膨らんだものの、支部幹部としての業務や研修課程で厳しい研鑽に明け暮れ、さらに研究院講師として忙しい日々を送る中で、蕾は何十年も咲くことはありませんでした。
 研究院講師退職後はライラックやリンゴの花咲く季節のドイツ、街中が紫のジャカランダにあふれるプレトリア、大きな夕陽が大地へ沈むアフリカ台地・ケープタウンを訪れたい、そして「海外の人たちと、いけばなを通じてまた交流したい」と願っていたところ、まさかの夢が現実のものとなりました。夢や希望を持っていたら、いつかいつかその夢は叶えられ、小さな蕾は花開いてくれる、そう信じています。


ワークショップにて(1985年1月)

いけばなインターナショナル「ジョホールバル支部25周年記念デモンストレーション」にて
 左から5番目が石橋さん(2018年10月)

 研究院講師・東京支部幹部を務めさせていただけたことは大変光栄なことであり、偉大なる諸先生方のご指導を賜り、励まされながら、多くの経験を積ませていただきました。ここまで育てていただき、学んだことを生かすことのできる素晴らしい場を与えてくださったことに心から感謝しつつ、これからもいけばなの道を歩んでまいりたいと思います。


中国・マツダ自動車のCMに(2017年12月)
 このブルーの着物は、3世家元・豊雲先生デザインのもの。ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
【石橋 祥子さんに一問一答】
好きな花: 野紺菊(野辺に咲く小さく可憐な花ですが、気品ある色や佇まいに心惹かれます)
好きな作家: サイモン&ガーファンクル(青春時代が蘇ってくる心のビタミン剤)
マイブーム:

全日本女子バレーボール(大学一部リーグでの活躍を夢見ていたこともあり、選手たちの成長を見るのが楽しみです)

 いけばな以外の趣味といえば、歌舞伎や演劇を観ること。表舞台はもちろん、裏舞台でもいろいろな役割の人たちがそれぞれにプロフェッショナルの仕事を結集させ、ひとつの舞台を完成させています。全員が一丸となって作り上げるパッションが観るたびに伝わってきて、こちらまで励まされるのです。
  昨年観劇した「芸術祭十月大歌舞伎」で舞踊・長唄の名曲「秋の色種(いろくさ)」が上演されたのですが、同月の『挿花』( 2017年10月号 No.803)にこの曲を詳しく解説した記事『にほんのねいろ(10)秋色種(あきのいろくさ)―虫の鳴き声と邦楽』が掲載されていました。これを読んでいたおかげで、秋草や虫の声を詠みこみ、秋の庭の風情をうたった長唄と舞踊は印象深い観劇となりました。


石橋祥子さんからご紹介いただいた次回の「いけばなじん」は、荒瀬豊波さん(八戸支部)です。八戸支部の研究会へ指導に行かれた時に、副支部長として積極的なサポートを行う荒瀬さんを見て「こういう方が支部長になってくれたらいいな」と思っていたところ、その通りになったそう。八戸は石橋さんの故郷でもあることから、お互いに地域の情報交換をし合っています。明るいお人柄で何事にも前向きに頑張っておられる荒瀬さん。どうぞご期待ください。

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